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  えん罪・引野口事件

私には身に覚えがありません
被告人  片岸 みつ子

 私の兄(古賀俊一)は平成16年3月24日の夕方火災に遭い、事件に巻き込まれ亡くなりました。 当時、私は実家が火事になり、兄は左足が不自由になっていた為、逃げ遅れて焼死したものと思っておりました。 兄の無念さを思い、生前の言い付けに従い、兄の預金を下ろしました。 葬儀後、兄の子供達に兄の遺志を伝え、次女は受け取りを承諾しましたが、兄嫁は受け取りを頑なに拒否し続け、私は5月23日に窃盗罪として逮捕されました。 そればかりか警察は、「お前が殺人人・放火の犯人だ」と再三怒鳴りつけ、同房者(覚せい剤使用及び車上狙い他10件余りの窃盗罪の余罪で逮捕されている21歳の女性)を使って、私が、『兄を殺し、放火した』と告白したなどと勝手に作り上げ、私を犯人に仕立て上げました。
 兄は結婚し、3人の子供に恵まれ、母と共に暮らしていましたが、10年目頃から兄嫁と争い事が多くなり、平成4年に会社を辞め、一人暮らしを始めました。 昼日中から飲酒をするようになり、数年後にはアルコール依存症となり、2回の入院を経て母と暮らすようになり、兄と母と私は断酒会へ通い、兄の更正を願いました。
 兄の子供達は皆、東京の私立大学へ進学し、兄は学費や仕送りの為に、土地を売り、銀行から借金をし、再びアルコール依存症になり、入退院を繰り返しました。 母と私は兄に協力し、先祖の土地を処分し、借金返済に充てました。
 平成16年になっても兄は相変わらずで、3月に入り食欲も無く、「自分が死んだら預金を下ろして、次女に学費を渡してくれ、母の葬儀代にもしてくれ、そして俺の後始末もたのむ」など、何度も頼まれました。 そんな兄の事が気にはなっていましたが、私自身、長期にわたり歯の治療を受けており、3月25日には最後の手術を控えていました。 これが済んだら兄に入院を勧めるつもりでした。 そんな矢先の事でした。
 兄の葬儀の翌日3月27日に、私は警察に兄の事を聴きたいと言われ、事情を聴かれました。その日に、刑事さんに兄のお金を下ろしたことを告げました。その時刑事さんは、お兄さんの遺族が訴えたら窃盗罪になりますよと言われました。 兄夫婦はここ10数年別居しており、兄は兄嫁を嫌い、恐れており、全てを私に任せておりました。私は兄の遺志を通しただけで、盗むつもりなど全くありませんでしたので、訴えられるとは思っておりませんでした。
 兄はお酒に負けてしまったけれど、純朴で優しい人で、私はそんな兄が好きでした。 兄の為にも、是非真犯人に名乗り出てほしいと思います。 私は身に覚えの無い事まで背負うわけにはいきません。 真実は必ず明らかにされると信じております。 一日も早くこの事件が解決され、年老いた、認知症になってしまった母を自分の手で精一杯世話をしたいと思います。 兄もそれを望んでいると思います。


引野口事件とは
家族の訴え   
「片岸兄弟を支える会」からの訴え

★★えん罪「引野口事件」ホームページへ★★


無罪判決を求める署名用紙(2007年11月) 【PDF】 (49kB) 

◆引野口事件シンポジウム(2007年9月22日)ご案内◆
 【PDF】 (24kB)
◆引野口事件署名用紙(2006年11月)◆ 【PDF】 (48kB)


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