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 引野口事件とは

私はたった一人のかけがえのない兄を殺していません。
大切な実家を放火していません

事件の概要
微罪で逮捕・起訴を繰り返す
 2004年3月24、日夕刻北九州市八幡西区引野口でおこった火事の焼け跡から殺人死体が見つかり、5月23日被害者の妹・片岸みつ子さんが別件で逮捕されました。 容疑は亡くなったお兄さんの預金を生前の言いつけ通り下ろしたことを窃盗ということで、6月13日に起訴されました。 その後、7月1日、2002年に発生した被害者の妻とのトラブルで威力業務妨害罪として再逮捕、22日にこの件も起訴されました。
 この間片岸さんは警察により、逮捕された事件ではなく殺人・放火罪立件のための自白強要が続けられましたが、一貫して否認を貫いていました。 このような状況で警察は殺人・放火罪に関して逮捕状すら出ない状況が続いていました。

接見禁止の房に同室者を
 片岸さんには厳しい接見禁止がついており、家族との面会はおろか手紙も一切許されず、弁護士と短い時間の接見が許されているだけという状況であったにもかかわらず、B子という同房者がいました。 片岸さんとB子は親子ほども年が離れておりましたが、警察はこのB子を協力者に仕立て片岸さんから殺人・放火をしたと聞いたという供述調書をつくり、それを証拠に10月、三度目の逮捕が行なわれ、起訴され現在福岡地裁小倉支部で裁判が続けられています。


冒頭陳述での検察の主張
(1)事件の概要
 2004年3月24、日午後5時12分から5時56分までの間に出火、焼け跡から被害者の死体が発見されました。 死体の周囲からは灯油の成分が検出されており、灯油をこの部屋に散布して放火したことが出火原因であると考えられます。
 また、玄関も施錠されており、被害者の着用していたズボンには現金約2万4千円が残っていました。

(2)被害者の死因
 A、解剖の結果、心臓の刺創が判明したが、被害者は出火当時すでに死亡しており、当初死因は心臓刺創にもとづく出血性ショック死とされました。
 B、その後、被告人が勾留中の同房者に対して「被害者の胸部だけでなく、頚部も刺した」との告白が判明し、それを受けて解剖医に再検討を依頼した結果、保存していた被害者の右総頚動脈の傷が明らかになった。
 また、二つの傷は先に頚部、後に心臓が刺されたことも分かりました。 
 C、以上のとおり、被告人の同房者への告白に基づき、再検討した結果、死因が右頚部の刺創によるものであることが判明しました。

(3)死亡時期などについて
 A、被害者の死亡時間は解剖時(2004年3月25日、午前50分)を基準にして死後1日から2日。
 B、被害者は刺されてから死亡するまで約2時間以上経過していると考えられます。

(4)被告人の動機
 被告人は実家の財産が被害者の妻にわたることを阻止するために画策していたが、そのことで被害者と口論になり、被害者を殺害し、証拠隠滅を図るために放火したものである。

(5)被告人が犯人である理由
 被害者宅の電話が3月24日、午後5時5分と、5時12分に使用されており、その時間には被害者は既に死亡していたことが明らかであるから、この二件の電話は犯人のものであると考えられます。
 被告人は5時12分の電話について「灯油がなくなったので買ってきてくれ」という兄からの電話であるとうそをついています。
 また、八幡西署に勾留中、同房者に「兄の首を刺した後に胸を刺した」と告白したが、その当時の解剖では心臓のみの刺し傷が確認されており、頚部については確認されていなかった。この告白で首の刺し傷が死因であることが明らかになっていました。 (秘密の暴露である)


冒頭陳述に対する疑問点
(1)動機が存在しない
 検察は片岸さんが実家の財産が被害者の妻にわたることを阻止しようとしたとしていますが、被害者(お兄さん)には子供もおり、たとえ亡くなっても財産は妻と子供に相続されることは明らかです。
 また、片岸さんはアルコール依存症のお兄さんを長年介護しておりましたが、その間に大きなトラブルは全くありませんでした。

(2)同房者をつかった違法な捜査
 同房者B子は平成2004年6月18日に車上狙いで八幡東署に逮捕され、6月24日まで北九州水上署で片岸さんと同房でした。 その後片岸さんが八幡西署に移されると、7月15日に覚せい剤取締法違反で再逮捕されたB子が再び同室になり9月27日までの約2カ月半つづきました。 その間B子は自分の事件の取り調べではなく片岸さんの動向のみを報告させるという取調べを受け、B子は「事件の告白を聞いた」と言う供述を警察に行ないました。
 長期間にわたる警察の取調べにも否認し続けている片岸さんが、再び同室になりトランプなどして仲良く遊んだりしていたとはいえ全く関係のないB子に兄殺しを打ち明けることなどありえません。

(3)裁判の現状とこの事件の特徴
 別件の2件について評価は別にして実行行為は争っていません。
 裁判は検察側の立証が終わり、2006年5月15日、弁護団が申請した鑑定証人(死因と死亡時間)の尋問が行なわれ、7月24日には片岸みつ子さんの本人尋問(続行)が行なわれました。
 これまでの裁判で検察は犯行態様について具体的な立証をしていません。 また、犯行日時についても、特定していません。 田中鑑定から3月23日、午前から24日、午前頃の間に、最低1時間から2時間以上の時間で犯行を行なったというずさんな主張です。
 火事で証拠が焼失した可能性があるとはいえ兇器も、犯行時間も特定されず、動機もなく同房者の証言のみで裁判にかけられているというのがこの事件の一番の特徴です。
 弁護団の立証はあと本人尋問と弁護側が申請した鑑定証人を残すのみです。
 事件現場の片岸さんの実家は引野口の旧家で、ご近所の評判もよく、片岸さんに警察の容疑がかけられているときから、ご近所の人は誰一人として、片岸さんの犯行だと思った人はいません。 逮捕されるや直ちに「片岸兄弟(子供さん)を支える会」が結成され、法廷は抽選でやっと傍聴ができるという状況です。



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