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日本国民救援会の進む道(綱領)

日本国民救援会のすすむ道(綱領)
二〇〇六年七月三一日採択


一 国民救援会のあゆみ

1 結成と戦前の 活動
 日本国民救援会は、一九二八年四月七日、自由と民主主義を求める人びとにより、国家権力から弾圧された犠牲者を大衆的に救援する団体として結成されました。
 当時の日本は、絶対主義的天皇制権力による政治支配のもとで、アジア諸国への侵略と戦争の政策をすすめていた政府と、侵略戦争反対、主権在民、生活向上、社会進歩などを求める国民の運動が激しく衝突し、政府は治安維持法・特高警察や憲兵などを使って過酷な弾圧を強化していました。 この国民の運動は、自由民権運動から大正デモクラシーに至る運動を経て成長してきた社会主義運動、労働組合運動・農民運動などにおいて、歴史を動かす前面に登場していたのです。
 国民救援会は、これらのたたかいに対する弾圧に抗して、思想信条、階層の違いを越え、大衆的に救援する運動団体として結成されたもので、近代日本の人権闘争史上、不滅の意義をもつものです。
 国民救援会は、結成されて直ちに弾圧の犠牲者と家族を救援する活動を積極的にすすめましたが、自らも治安維持法などによって弾圧を受けました。 しかし、日本帝国主義の敗戦まで救援活動を絶やすことはありませんでした。

2 アメリカ占領下 での活動
 一九四五年八月、日本帝国主義は、ポツダム宣言を受諾して、侵略戦争に敗北しました。自由と民主主義、生活向上を求める国民の運動が急速に広がり、同年九月、国民救援会はいち早く組織的な活動を再開しました。 そして、治安維持法で捕われていた犠牲者の釈放に際して、自由戦士出獄歓迎人民大会を主催しましたが、これは新しい時代の幕開けを象徴するものでした。
 国民のたたかいが高揚するなかで、一九四七年五月三日には国民主権、戦争放棄、基本的人権などを保障する日本国憲法が施行され、翌年の一二月一〇日には、世界人権宣言が採択されました。 この日本国憲法と世界人権宣言は、その後の救援運動にとって重要な指針となりました。
 しかし、戦後日本の占領の主力となったアメリカが、核軍事力を背景に世界支配をめざし、日本をアジア支配の拠点とする戦略をとり、日本の支配者がこれに従属し、同調する道をとったために、独立、平和、民主主義、生活向上を求める国民の運動との間に根本的な対立が深まりました。 一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効によって日本が形式上、独立主権国家となる前後には、高まる国民の運動を抑圧しようとした、アメリカと日本の支配者による政治謀略・弾圧事件が数多く発生しました。
 こうした激しい弾圧にもかかわらず戦前から続けられてきた平和、人権、民主主義を求める草の根の運動は前進し、やがて一九六〇年の日米安保条約改定反対の歴史的な大闘争へと発展していきました。 国民救援会は、このような国民的大闘争に加えられた弾圧とたたかい、救援運動の発展の基礎を築いていきました。

3 大衆的裁判闘争 の開花
 安保闘争の広がりと高揚を創りだした経験をもとに、一連の謀略・弾圧事件に対する裁判闘争がすすめられ、その犠牲者と家族の救援運動は、無実の人を救おうという一点に労働組合や民主団体をはじめとする広範な階層の人びとを結集して行われました。
 国民救援会は、戦前からの活動の経験と教訓を日本国憲法のもとでの運動に生かして、大衆的救援運動を展開し、政治謀略を許さない土台を築きました。
 なかでも、一五年におよぶ松川事件のたたかいでは、事実と道理にもとづいて謀略を暴き、裁判所を監視し、裁判の誤りを批判して正しい判決を求める国民の大運動に発展させて、死刑、無期を含む被告二〇人全員の無罪判決を確定させ、その後の国家賠償裁判でも完全勝利して、権力の責任を断罪するという、世界史上でも稀有の成果を勝ちとりました。
 松川事件の救援運動のなかで開花した大衆的裁判闘争の経験は、人権と民主主義を守る運動に貴重な教訓をもたらし、救援運動を大きく前進させて、諸事件の救援運動に生かされています。

4 人権と民主主義 のセンターとして の活動
 一九六〇年代から七〇年代にかけて、全国各地で革新自治体が実現し、革新議員が増加しました。この広がりに危機感を強めた支配勢力は、その進出を阻止するために、公職選挙法や国家公務員法、軽犯罪法や屋外広告物条例などを使って、選挙、言論・表現活動に対する妨害、干渉、弾圧の攻撃を全国的に強化してきました。
 国民救援会は、主権者である国民の選挙・政治活動の自由や言論・表現の自由を求めて、国公法弾圧事件や公選法弾圧事件などの裁判勝利と新たな弾圧を許さないための活動をこの時期の中心的な課題として奮闘しました。 とりわけ、六〇年代から四〇年に及ぶ選挙弾圧とのたたかいでは、自由な選挙を求める理論と運動を大きく前進させました。
冤罪事件の救援活動も松川事件の教訓を生かして強化され、白鳥・財田川決定を勝ちとり、四人の死刑確定者の再審・無罪判決の獲得をはじめ、数多くの冤罪犠牲者を救ってきました。 今日、冤罪事件の救援活動は、「事実と道理」によって人びとの良心を結集する、大衆的救援運動の原点をいっそう深めるものとなっています。
 こうした活動は、日本の遅れた人権状況を国連の関係機関に働きかけて、日本政府に改善を求める運動や、諸外国の人権団体との交流など、新たな国際活動を推進するまでに至っています。
 さらに国民救援会は、平和と民主主義、社会進歩のための活動の途上で亡くなった人びとを合葬し、その遺業を語り継ぐ解放運動無名戦士合葬追悼運動を継続的にとりくみ、広げてきました。
 また、弾圧や人権侵害を許さないために、強大な国民救援会を建設することに力を注ぎ、今日では、わが国のなかで、最長の歴史と最大の会員数を擁する人権団体に発展して、地域や職場の人権と民主主義を守るセンターとしての役割を担っています。
 このようにして、国民救援会は、戦後の人権裁判・人権闘争の歴史を飾る多くの成果をおさめ、これをいっそう発展させることをめざして活動しています。


二 国民救援会の活動
 国民救援会は、思想、信条、性別、社会的身分、人種などの違いをこえて団結・連帯し、社会的道義を守って、以下の活動を大衆的にすすめます。

1 国民救援会は、平和と民主主義、社会進歩のために活動し、弾圧や人権侵害をうけた人びとを救援します。
  国民救援会は、冤罪で苦しむ人びとを救援します。
  国民救援会は、権力犯罪の責任追及、不当に侵害された権利の回復を求める労働事件、公害や薬害、災害被災者、被ばく者の救援など、市民的権利を守るたたかいを支援します。

2 国民救援会は、事実と道理にもとづき、公正で民主的な裁判が行われるよう活動し、司法によって人間の尊厳や人権が侵されることのないよう活動します。
  国民救援会は、日本国憲法と国際人権諸規定にもとづき、不当な弾圧や人権侵害とたたかうための知識と心得を普及します。

3 国民救援会は、日本国憲法の改悪に反対し、憲法と世界人権宣言、国際人権規約を守り、生かして活動します。
  国民救援会は、人権を抑圧し民主的権利を侵す法律や条例の制定、改悪に反対し、悪法の適用を許さないために活動します。

4 国民救援会は、国民監視と弾圧を任務とする警備公安警察の廃止を含む警察制度の民主的改革および破壊活動防止法と公安調査庁の廃止を求めて活動します。
  国民救援会は、国際的な基準にもとづいて、代用監獄の廃止、被拘禁者の処遇改善を求めて活動し、死刑制度の廃止を求めます。

5 国民救援会は、平和と民主主義、社会進歩のための活動の途上で亡くなった人びとを顕彰し、遺族を励ます活動をします。

 国民救援会は、このような活動を展開することによって、この国と世界に平和と民主主義が深く根づき、人権が輝く社会進歩の運動に大きく貢献します。


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