救援新聞・福岡県版 2014年2月25日号
「合葬追悼会」特集
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★ 目次 ★
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平和で豊かな明日をめざして活動された
仲間たちに感謝と敬意を表する
解放運動無名戦士合葬追悼会にご協力をお願いします
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【国民救援会が「追悼会」を開催するのはなぜ?】
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【無名戦士墓はどのようにしてできたのですか?】
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【合葬される人はどんな人たちですか?】
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【毎年3月18日にひらかれるのはなぜですか?】
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【「解放のいしずえ」とは?】
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【この行事の財政は?】
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社会の進歩をめざした人々に感謝と敬意を
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■平和で豊かな明日をめざして活動された
仲間たちに感謝と敬意を表する
解放運動無名戦士合葬追悼会にご協力をお願いします
日本国民救援会は、1948年3月18日以来、毎年同じこの日に平和、労働、女性、政治革新など様々な分野で、憲法にもとづく平和や民主主義、基本的人権の確立のために日本各地で活動された人びとを無名、有名の区別なく「解放運動無名戦士墓」に合葬(氏名、20字の発動略歴を刻んだ銅板を納める)する、解放運動無名戦士合葬追悼会を開催しています。今年で67回を迎えます。
解放運動無名戦士合葬追悼会について特集しました。
趣旨をご理解いただき、ご協力をお願いいたします。
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■【国民救援会が「追悼会」を開催するのはなぜ?】
日本国民救援会は1928年4月には結成(当時は解放運動犠牲者救援会)されます。創立宣言は「貧窮と抑圧の生活に抗争しやがては自らの搾取を支配階級より解放せんとする労働者農民にたいして資本家と地主は弾圧をもって臨むのである。 労働者農民の解放運動こそ平和と自由の使者であり、よりよき社会の曙光である。」としています。 治安維持法等で自由を奪われていたなか、「労働者農民の解放運動」に希望と畏敬の念を寄せ、その運動への弾圧犠牲者とその家族を救援することを「吾等の社会的責務と信ずるが故である」としました。
このように解放運動への希望と畏敬から結成された国民救援会が、その解放運動に参加した人々にも深い畏敬をもち、志半ばで亡くなられた人びとに感謝と敬意を表し、その活動略歴を後世に残す行事を開催するのは、国民救援会結成の意義から生まれています。
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■【無名戦士墓はどのようにしてできたのですか?】
1925年(大正14年)、紡績女工の惨状を記した『女工哀史』を出版した細井和喜蔵は、出版直後28歳で亡くなります。 藤森成吉ら細井和喜蔵遺志会は、細井和喜蔵と同じように葬る墓がない無名戦士がいることを知り、『女工哀史』の印税で、1935年3月、東京・青山墓地の一角に「無名戦士墓」を建立しました。 戦時中は警察によって有刺鉄線で囲まれれていました。 戦後、国民救援会は「遺志会」から無名戦士墓を譲受け、「解放運動」の四文字を書き加え現在にいたっています。 墓ですが納骨はできません。
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■【合葬される人はどんな人たちですか?】
1948年3月の第一回「合葬追悼会」を前に、「救援新聞」18号(1948年3月1日)は、「渡辺政之輔、市川正一、岩田吉道、野呂栄太郎、小林多喜二、これらは日本革命運動の宝としてだれにも知られている。 しかし、同じような宝でありながら埋もれている無名戦士が沢山いるのである。 ・・・・・そこで、私たちは何らかの形で埋もれている尊い犠牲者に対し私たち後につづく者の階級的な感謝と敬意を表することを考えたい」と記し、建立に参加した藤森成吉は、「無名を削ったほうがよくないか」という意見に対して、「それは墓の精神を没却する意見です。 どんな有名な戦士でも、多数の無名戦士の仲間として、ここでは無名に帰るのが建前です。 無名を削るなら、もう墓の存在意義はありません。」とし、「ぼくが無名戦士墓を尊重するのは、名も富も地位も求めなかった「無名」の戦士たちは、こういう墓がなければ忘れられるからです。 ご本人はそれでいいかも知れませんが、あとに残ったわれわれがそれを記念し感謝しない法はありません。」と記してします。
国民救援会では、このような意義を尊重し、有名、無名、役職の有無、活動量の大小などに関係なく、その団体の活動に参加された故人の合葬推薦をお願いしています。
合葬者は、各団体が遺族の了承を得て、その団体の活動略歴等を合葬推薦書に記し、国民救援会に提出します。 そして、合葬審査委員会で審査されて決定されます。
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■【毎年3月18日にひらかれるのはなぜですか?】
1871年3月18日、パリの民衆は世界ではじめて労働者階級の権力、パリ・コンミューンの成立を宣言しました。 (わずか72日で滅ぼされます) この日が「解放戦士」を合葬する行事を開催する日にふさわしいとされ、今日まで続いています。
3月18日は日本青年館で式典がおこなわれ、その後青山墓地の「無名戦士墓」まで行進して墓前に献花します。希望者は翌日国会など見学します。
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■【「解放のいしずえ」とは?】
「無名戦士墓」には、氏名と20字の活動略歴を刻んだ銅板を納めます。 しかし、20字では故人の活動略歴は残せませんので、『解放のいしずえ』に故人に係わる活動全体の略歴を掲載します。 したがって、故人も活動略歴にモレがないよう各団体に調査をお願いしています。
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■【この行事の財政は?】
この行事の財源はこの行事に賛同いただく団体や有志のみなさんの募金で賄われています。 そして、式典にご遺族一人の旅費等を国民救援会が負担し、招待しています。
☆「合葬追悼会」について疑問や質問は
092−713−0144に電話ください。
★合葬追悼美金の送り先
郵便振替 01760 8 2966 日本国民救援会福岡県本部
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■社会の進歩をめざした人々に感謝と敬意を
第67回解放運動無名戦士合葬追悼会・福岡県合葬者
合計46人
福岡追悼会
6月 8日(日) 13時30分
ふくふくプラザ
北九州追悼会
9月28日(日) 13時30分
レインボープラザ(予定)
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