果敢に権力側を裁きつづける大石事件最終公判
 福岡高裁での最終弁論公判を視て、聴いて、声を出して。
 福岡・元選挙弾圧事件被告 O氏

 
一 大石さんの凛とした美しさ 
 裁判闘争は、実に面白い。 そして、実に楽しい。人間ドラマがいっぱい詰まっている。 権力の悪質さを逆に裁きつづける痛快さがある。 「被告」という大石忠昭さんの凛とした姿が美しい。 検察側の常に俯いているしょぼくれた惨めな姿が観れる。 これは、去る5月30日の大石事件最終弁論公判に参加しての私の一言感想だ。
 
 福岡高裁の501号法廷は、108人しか入れない。 法廷の外にも、中庭にも、近くの市民会館にも、参加した人たちがいっぱいで、300人は越えているようだ。 生れてからこのかた、籤運の悪い私は、傍聴席の抽選に当たる筈がない。 だから、法廷の外のロビーにず〜っと待ち続けていた。 主任弁護人の弁論が聴けなかったことが残念でならない。
 1時半から始まった弁論は、丁度1時間ほどで休憩に入った。 これぞ幸いに「交代してください」とお願いして、傍聴券を譲ってもらった。 後半は2時55分からだ。 私は、すぐに法廷に入って、最前列のど真ん中に陣取った。 メモノートを準備し、バッグの中のお茶を啜って、万全を整えた。 右隣に可愛い感じのおばちゃんが座ってきた。 お〜今日は何かいいことがあるぞと嬉しくなった。
 
二 私は、この裁判の主権者だ
 私は、「傍聴人」ではない。 裁判官や弁護人や被告人の言うことを、「傍ら」にいて、おとなしく「聴かせてもらう」ために、駆けつけて来たのではない。 私は、大石さんを悪質なやりかたで弾圧した警察・検察側、それに、大石さんに酷い有罪判決を出した大分地裁の裁判官どもを、裁くために駆けつけたこの国の主権者だ。 だから、裁判官や弁護人や検察官と対等でこの公判に参加している心算だ。
 いよいよ後半の法廷が開いた。 3人の裁判官に9人の弁護団、一人の検察官、被告の大石さん。 被告席には手が届くほどの距離だから、大石さんに「共に闘いましょう」と握手した。 主任弁護人と目が合った。 私は微笑んだ。 K弁護士も微笑んで返してくれた。
 今から丁度30年前、この同じ501号法廷の大石さんが座らさせられている被告席に、私は座らさせられていた。 その時の主任弁護人が、この大石事件の主任弁護人でもある。 二十代後半から12年もの間、闘い続けた同志の間柄だ。だから、いろいろなことが蘇えってくる法廷だ。

三 自由とは、自己決定の自由のことである
 弁論が始まった。
 大石さんへの大分地裁判決は、大石さんを戸別訪問、文書、事前運動などの違反として認定し、罰金15万円、公民権停止3年という酷いものだった。 私は、38年前に「戸別訪問違反」として弾圧されたが、罰金5千円だった。 交通違反よりも軽微だった。 大石さんの活動と殆ど変わらない内容なのに、罰金は30倍、それに豊後高田市議員を剥奪するための「公民権停止3年」とは、あまりにも酷すぎる。
 だから、弁護団は、「百歩譲って、形式犯と認めても、一審判決はこれまでの判例からも著しく逸脱している。 刑法理論からも極めて間違っている」と展開しながら、「戸別訪問の弊害」論という抽象論で、言論表現の自由を縛ることは、選挙活動の実際や国民の常識観に無知で、国際自由権規約などに大きく反している」という風に、詰めだした。 「自由とは、自己決定の自由に属する」のであって、「それを法律で縛るなどは国際司法上からもあまりにもおかしい」と畳み掛けた。
 私は、「そうだ!」「そのとおり!」と間髪を入れず大きな声を出した。 職員の衛理の方がじ〜っとこっちを視る。 手は忙しくメモまくっている。 隣の可愛いおばちゃんは、和紙のはがき用紙を束にもって、サインペンみたいなもので、法廷内の人物たちを見つつ描きつつの大忙しだ。 「お宅は、大阪の人?」と耳に囁いて訊いた。 「そう…」。「なにわ文学24号に描いていた人?」と再質問すると、「そう…」。「お母さんのお中にいる時から描いていた?」と、実につまらんことを囁いた。 「………」。 後で分かったことだが、「新聞あかはた」にも描く岸和田市のNさんだ。
 左隣のいい歳をしたおじさんも兵(つわもの)だ。 初めからB4用紙を広げて、メモまくっている。 これほど、熱心なメモ魔を見たことがない。 私も良くメモるのだが、このおじさんの比ではない。 きりっとした表情が何とも頼もしく、最前列のど真ん中に陣取るだけある兵だ。
 
四 正義を法律で罰すれば、この世は闇だ
 奈良からやって来たというS弁護人が、「大石さんの家は100年は越えるような家だけど、鍵を掛けたことは一度もない。 いつでも市民のみなさんから声を掛けられ、自由に出入りができるように、徹底した住民奉仕の模範的な議員だ。 裁判官も大石さんのホームページを覗いて欲しい。 大石さんの活動や人柄が一目瞭然だ」みたいな弁論をすると、私だけでなく後ろの方からも「そうだ!」という声が一斉に出た。 今日の参加者は主権者になっているぞ、衛理に退場を命じられる寸前で静かにするから、頃合いを良く分かっている人たちだ、と嬉しくなった。
 大阪から駆けつけたというU護士は、「法律の目的は、正義を護らせることだ。 この事件は、大石さんの正義を罰しようとしている。 法律の目的に反する、特異な事件だ」として、警察の尾行などの異常な狙い撃ちを告発しつづけた。 そして、「裁判官は、国内の法律だけを看るだけでなく、世界の人権問題から良く判断すべきだ」ときっちりと要求をした。 何と胸のすく弁論だ。 「そのとおり!」という多くの声があがった。 だれでもが納得のいく内容と雰囲気に、衛理さえ何も制止できないほどだった。
 裁判官は、「被告」の大石さんの最終陳述を認めなかった。 大石さんは、陳述内容を文書にして裁判官に直接手渡した。 「私は、何も悪いことはやっておりません。 2月にトップ当選したばかりの議員です。 住民奉仕の活動がこれまで以上にできますように、裁判所の無罪判決の英断を強く要求します」という主旨の発言で、公判を締め括った。 一躍拍手が法廷外にも響くようだった。 
 
五 高裁へ、足音高く、声高く
 判決は、来る9月7日午後1時30分に決定。 現在の7万署名を、10万に押し上げる運動、毎週の全国からの高裁への要請行動も決定。 はがきや文書での通信要請活動、あちこちで大きな声を出しての宣伝なども提起されるだろう。 とにかく、私たち庶民の声や文字や足音が、裁判長らにすっきりと見えるようにすることが極めて大切だ。 判決の内容は、実は私たち庶民の手で書くものだ。 裁判所が、私たちと同じ手と頭を持つように、最後までねばり続けることだ。

 実に、面白く、楽しかった。 内容の面白さに、モ・ベ・ヒが見事に団結した楽しさ、主権者になった多くの「傍聴」者……。2007年5月30日、私にとっても素晴らしい一日であった。

  2007/06/03 朝 記



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